昭和48年06月10日 堤 清 50日祭



 御道の信心させて頂く者にとって、お徳が露出しておるような年だと。お徳と言うものがこう、目には見えない、又はこう隠れておる。そういうもんだけれども、今年はその徳が露出しておると言った様なお年柄だと私は思う。教祖様が亡くなられて九十年、四神金光様が亡くなられて八十年。先三代金光様がお亡くなりになって十年。もう本当にただ偶然と言った様な風には思われない。
 式年式年のそのお祭りが、今年の十月の秋の御大祭に合わせて、あのお祭りがあるわけなんです。御道の信心教祖九十年祭。もうそのお祭りは、言うならば金光教の信心に、徳と言うものがあるとするなら、その徳が現れた姿だと。だからこの度はもうそのお徳に触れるという意味合いにおいてでも、合楽を挙げてご参拝のおかげを頂いて、合楽を挙げて、そのお徳に触れて行きたい、接して行きたいと私は思う。
 そういうもう金光教の信心をさせていただくなら、そういう意義の深い有難いというお年柄に、例えば堤さんが亡くなられた。けれども思えば思うほど、例えば私共が生神教祖金光大神様と仰いでおった、先教主金光様の、祥月命日のお立ち日の日にお国替え。もうどんなに言ったって、もうこんな幸せがあるだろうかと、こう思う様な言うなら、金光教の御神徳の露出と言うか、現れておると言う事を、例えば堤さんのお国替えの上にも、それを私は感ずるです。
 今日のお祭りは、もう何ともかんとも言えない、複雑なお祭りでした。いうならば仏教的で言うならば、お葬式にも当たる。私にとってはね。十日祭にも当たる、二十日祭にも当たる三十日祭にも、四十日祭にも五十日祭にも当たる。そして御霊の待望と言うか、遺族の者の願いと言うか、そういう願いがちょうど、六十日目の今日そのお祭りを、こもごもに、そういう内容を持った霊祭を奉仕させて頂いた訳です。
 私は今日、御神前に出らせて頂いてから、一番に頂いたのは卵のお供えがあった。あの卵のお供えが、全部あのニンニクのね、お供えに私の心眼には見えるんですよ。だからどう言う事であろうかと。例えば卵のお知らせは、あれはあのね生卵どんすすってから、元気出せと言う様に、元気を出せという時のお知らせである。がほんならニンニクと言うことは、もうもっともっと、ただ一時的な元気ではなくて、もう身体にいよいよ、力がつくというほどしのもの。
 けれども臭い。臭いけれども元気が出る。例えば御霊様のお祭りを仕えるたんべんに、お礼を申し上げながらも、やはり後の遺族のことを思うたりすると、やはり悲しいことが先になってくる。いわば悲しいけれども有難い。私はそういう意味だと思ったですね。そこでですね。例えばほんなら、それは御霊様からとっても、悲しいまたは苦しいけれども、力がついて有難いとお礼が申し上げられる。
 遺族の者にとっても悲しい、けれどもおかげで力が出来ると言う事になっていかなければおかげにならない。四神様が四十という若さで、十年間と言う、お取次ぎをして下さったね。その十年間の間に、北は北海道、南は九州の果てにまで、御道は広がった十年間、四神様の間に。大変な御神徳を受けておられたお方であったけれども、十年のいわば、御神勤でお隠れになった。まぁだお子様は十三歳と言うお年であった。
 けれども世の中の者は、どうしてと言うであろうけれどもね。あとの攝胤を見ておって下されと言うのが、ご遺言だったそうです。あとを見ておって下されと言う。その後をほんなら十三歳の金光様が、お父様の後をお受けになり、もうそれこそひた受けに受け抜いて、泣く泣く辛抱しながら、八十年間と言う長い間おかげを頂かれた。そこにねそこに四神様のお働きと、三代金光様のお働きが一つになったところに、今日の金光教の発展があってるね。時には色々言うた者もあったでしょうよ。
 堤さんとこだってどうしてあげん、熱心に信心しよって、しかもお広前でと言う事でしょうよ様な事が、耳にここにさえ入ってくるのだから、入ってくるだろうと思うです。だからそう言う事は、問題にしないほどしのね。臭いけれども力がつくとかね。悲しいけれども有難いという信心を頂いていかなかったら駄目です。私の信心が弟のね。七月三十日と言う、もう十五日待っとれば終戦という。
 まぁ十五日神様どうかならなかったですかと言いたいところ。七年間と言う間兵隊生活をさせて貰って、そしてもういよいよ終戦になってから、しかもあと十五日で終戦と言う時になって、もうこれはこげん残念な事はなかったです。言うならばね。けれどもです。その十年の例えば御霊様のその事がです。私の信心私一家のもうそれこそ、挙げての信心になり力になり、そして今までかって、したことのないような信心修行させて頂いておるうちにです。もう本当に御霊様。
 成程こういうおかげが頂けれるためであったと、今にして思うわけですね。後にならにゃ分からん。後に攝胤を見ておってくだされと四神様が仰ったと言う事ですね。だから先を見とって下さいという様な、生き生きとした、より一家を挙げての生き生きとした信心がなされなかったらです。それがおかげにならない。今日の例えば卵が、私の心眼にニンニク。臭いけれどもニンニクを頂いていくような、臭いけれども力がつくという、苦しいけれども悲しいけれども。
 はぁこげん時、お父さんがおってくれたならば、こげん時に息子がおったならば、こげな難儀はないものをと思う様な事もあろうけれどもです。そこん所を私は一つ生卵でもすする様な信心をさせて貰って、元気を出して生き生きとしたね。苦しいけれども有難い。苦しいからこそこの信心が出来るという様な、信心の上に現していかねば駄目だ。これはほんなら私の方において、金光教と言う御道の信心においてもしかり。
 ほんならこれは堤一家の上においてもしかりだと言われ、思われるほどしの、私はおかげを頂かなければならない。御霊様の働きがあり、御霊様のい苦しいけれども働こうと。苦しいけれども信心を進めて行こうという、この心と心が交流しなければならない。今朝私は朝の御祈念に様々な味わい。例えばレモンね。例えばコショウとか、色々なものを頂いてレモンは、もうそれこそ身震いするほど酸いいものであるね。センブリと言うものはそれこそね。それこそ口の舌がしびれるように苦いものである。
 けれどもその苦いものも酸いいものもね、天地の親神様のお恵みによって、味を付けられたものです。あれがどうでしょうね。レモンが酸いもなーにあもなかったら、コショウが辛くも何もなかったら、それはもう値打ちはないですね。例えばほんなら私共が、日々生活させてもらう上に、雨もありゃ嵐もあるけれども。その雨も嵐もお恵みだと。悲しいけれども、それはお恵みだと思えれる信心をね、さしてもらう。酸いいけれども要らん。苦いから要らんと言わずにね。
 それをやはり真っ向からまともに一つ、受け抜いて行くという信心をね。これからもっともっと生き生きとした信心を、堤の家の上に頂きね。お父さんの身体の上にでも、一つおかげを頂いて、も一遍一つ若返らせてもらうという様な勢いで、信心させて貰うてね。誰が何と言うても今日の御理解頂く。問題が問題にならないほどしの信心をさせて頂いて、おかげを頂かせてもらわなきゃならん。
 久富先生が、仰り忘れておられたそうですから、あの言うてなかったらしいですけども、今日は大体はあのお骨が、あらどこに収めてあるお寺さんですか。お寺さんだからね、頂いてこられるなら、頂いてこられるもよし、具合が悪いなら分骨でもいいから、分骨をして、例えばお立ち日二十三日の時でも良い、いつでも良いからあの是非、もうこれはね私もう本当にね、御霊様の切なる願いです。だからそう言う事も詳しく言いたいけれども、分からない者に言うても仕方がないでしょう。
 見えないことを言うのですから。けれども、後から一つあの、人間の念といった様なものは、どんなものかと言う、ここにおいてあります、あの内田さんところに、あの親子三人のあの念がね、人間の形になって映っとるという、ちょうどものやら例えば、昨日から今学校の先生が読みよるらしいけれども、四次元のあれという、例えば霊魂の写真とか、霊魂の指紋まで取っておる霊魂の声までも、あのあるその緻密な機械に現れておると言った様なご本が、読ませて頂いたけれども。
 もう本当にもう霊魂不滅と言うか、しかも不滅と言うだけではない、その霊魂が力を受けて、お徳を受けて御霊ながらに、神ながらな、例えばお守りも出来れば、働きも出来るほどしのおかげを頂くと言う事は、これは本人の御霊の修行と同時に、後に残らせてもらって、遺族のものが起きていくちょうどね、今日私が一部のことを言うとちょうどね、今日はちょうどガソリンが切れたところへ、ちょうど良かった、さして貰うたけんでと言う様なとこを頂いたですよ。
 そげん大事な事です、このお祭りと言うものはね。御霊さんも例えば自動車が動かんごつなっとった。それがちょうどあのガソリンを、今日は差してもらって、ちょうど良かったと言う様な、あの、場面の所である事を、私頂いたんですけども。その様に例えば遺族の者というかね、あの例えばね、もう血ほど濃ゆい物はないです。夕べ私は私のほうの家内の父のお立ち日でしたから、ご挨拶申し上げて、私と家内と二人で玉串を上げて、玉串を奉らせて頂いたら。
 家内の上げた玉串が、ばさばさばさとオイサミがついたですけんね、オイサミが如何にねあの親子の情と言うものが、例えばなら信心は私の方が上かも知れません。けれどもやはり家内が父を思う情と言うものは強いもの。だから親が子供を思う情ほど勝るものはない。家内がしのごと思う情ぐらい、例えばあのそこにあるあの、影のように映っとる夫婦の姿と、まだお腹にあった子供まで映っとるですよね。それがその夫婦の情念と言うものが、何ヶ月分かれておる時に、一生懸命思うたつがね。
 上から着とる布団のカバーに映っとるです、このくらいの太さに。そういうその念というものは、はっきり通うものだと言うのですから、それをやっぱり燃やす稽古が信心です。ですから念ずると御霊様が、はっとこう返事でんして下さるぐらいな、おかげを頂かせてもらわなければならんと思うですね。どうぞあの本当いうたら、もうとてもとても今年と言う年柄は、金光教の信心させて頂く者にとっては、大変なお年柄。それこそ金光教のお徳が、あの十月のお祭りには露出する現れる。
 そういうあの、意義のある年。そういう意義のある年にね、お国替え頂いたしかも、お広前でしかも、親先生の御理解頂き頂きなんて、後から考えたらとてもとても、こげなおかげはないと言う事になる。そういうだから為には、おかげを頂かなければならん。おかげを現して行かねばならんね。そして見ておって下さい。あの先を見ておってくださいと言う信心で本気で一つ信心に、生き生きとしたおかげを現して行かねばならないと思うですね。本日は、どうも有難うございました。
 松栄会の方達は、どうも有難うございました。今日はあの安藤さん達は、今日のことば聞いておられたぎなけんで、今日は飯塚から今日お参りに、もう堤さんとはあんなにね、懇意にしとったから、今日はあの池田さん辺りも、やっぱそうだったそうです。今日私は、北野の方達に私が言うと、なんしとったもんじゃから、遠慮しておられただろうと思うのですけれども。本当にあの今日は秋山さんが代表でお参り頂いて。まぁそれでも本当に、内々のお祭りに、兄弟以上のお付き合いをしておった、松栄会の方達が、顔を揃えてお参りを頂いて、本当に御霊様も、お喜びであったと思います。有難うございました。